みなさん、こんばんは。ふみかんです。
今日は新しい視点とかのお話。
新しい視点
ふと新しい視点での発見がありました。
不登校?
私は学生の頃、クラスにどうしても馴染めなくて行くのが辛くて、家を出たものの学校へ向かわずファミレスやカフェで時間を潰してしまったことや、教室の前まで行ってもドアを開けられず結局帰ってしまったことがあります。
クラスの子とはうまく馴染めていなかったけど、いじめられたりとかはしていません。むしろみんな優しくて気遣ったりしてくれてました。私がなんか壁を作っていただけです。
行きたくなくてサボってしまう自分にも自己嫌悪でした。でも、あくまでも自分の中では「サボり」という括りでした。サボって遊んでいる訳でもなかったけれども。
それが、これっていわゆる登校拒否、不登校、みたいなもの?とふと思いました。何十年も経って、今更。笑
なんか「不登校」とかって、自分とは少し距離のある言葉だと思っていたんです。周りに不登校の子もいたので、そういう意味では別に遠い国のお話とは思っていませんでしたが、自分をその視点で考えたことがなかった。
サボりというと「学校はめんどいし遊びたい」みたいなイメージなので、私が学校に行けなかった感覚としては、不登校の方が近い。
でも調べてみたところ、文部科学省による定義だと「不登校児童生徒」とは、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」だそうです。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/futoukou/03070701/002.pdf
私は30日も欠席していないし、やっぱり違うんだなと思いました。しかも私がそうなったのは小学校でも中学校でもないし、不登校っていつまで言えるんですかね。20歳とかでも言えるのかな。

とにかく、なぜ急にそう思ったのかは分からないけど、自分の中で新しい考え方が出てきたのがなんだか嬉しく感じました。
自分の中で整理がついたってことなのかなぁ。
騙されていた?
私は人を信じやすいです。
人を疑ってばかりよりはいいと思っているのですが、もうちょっとちゃんと考えて判断しないとなぁとは思います。
つい先日も友達に「本当いいやつだよなー。でも騙されそう」と言われました(;・∀・)笑
でも幸い、詐欺とかにはあったことがありません。だから、なんだかんだ騙されないんじゃないかなと思ったりしています。(私は大丈夫、と思っている人が騙されやすいんですよね、気を付けます。笑)
こういう時の「騙される」って、たいていもろ詐欺師とか、知らない人が寄ってくるのをイメージしています。が、ふと、顔を知っている人が騙しにきたらどうだろうと思いました。
……めっちゃ騙されそう。笑
一回気を許したら全然疑わなそうな気がします。(;・∀・)
そして思いました。
あれ、今までも騙されていた?
今まで生きてきてたくさんの良い人に出会えて恵まれてきていたけど。もしかしたらいいように使われていたこともあったのかもしれません。気づいていないだけで。笑

それはそれで間抜けながらに幸せですね。笑
うん、でもやっぱりたいていの人は悪意を持って接していたとは私は思えないなー。
なんだろう、騙すとか騙されるとか、悪人だとかそうじゃないとか、そういうことが書きたかったわけではなくて、自分の中に「騙されてた可能性」という新しい考えがふとでてきたのが嬉しかっただけなんです。。
新しい考え方
自分の考えは自分が見聞きしている環境で変わります。
本の内容は別の記事でまとめたいとは思っていますが「全力化(著者:ベンジャミン・ハーディ)」にも人は環境でできているというようなことが書かれています。
自分が着ているもの、自分が取った行動などから自分のセルフイメージが変わってくるし、新しく情報を得るにも自分が興味のあるものばかり入ってきてしまう。そして自分の考えと同じような意見ばかり聞いてしまう。
最近は本を読み始めたから少しずつ少しずつ視野を広げていけたらなと思っています。新しい趣味も始めようとしているし。服もちょっと系統が違うものを選んでみようかなとか。
自分と違う意見も、飲み込めないことはあるだろうけど、それ自体を否定はしたくないし。
だから「自分はサボっていただけ」「良い人たくさん」という考えで固まっていたのがふと新しい考えに出会えて少し嬉しかったです。何が正しいとかそういう話ではないけれど。
物事を決めつけないで色々な角度から考えられるといいなと思います!



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